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「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
2月の大坐小屋たより―飯綱高原も貧雪

2月29日、3月1日は、大坐小屋恒例のプチ冬季合宿(雪下ろし付き)を開催。今回はぼっちふくめ5名で開催。

新型コロナウィルスへの心配で、ストレスが溜まっていたのが、飯綱湖越しの雪の飯縄山を拝んだら、ようやくほぐれてきた。

今年は、小屋ができて以来の貧雪で、雪下ろしなし。

地球の温暖化が、本当に心配になってしまう。

気を取り直して、天気のいい初日29日のうちに、飯縄山を表登山道から登ることに。

雪下ろし歴連続5年目のHoさんは、過去4回曇天で雪の飯縄山に登れていない。

今年こそはと、楽しみにされていた。

登山開始が11時と遅かったので、すでにしっかりラッセルされている。

例年だと、途中の駒つなぎの場から、雪崩の起きやすい尾根を巻く夏道を避けて、尾根直登の冬道が取られる。

今年は、尾根直登コースの雪が少なく、夏道が踏まれていた。これも例年にはないこと。

樹林帯を抜けたところでアイゼンを装着。

戸隠連峰越しに、後立山連峰が見えてくる。

南峰から山頂の北峰方向を見たところ。

灌木の頭の出し方からして、例年に比べ1mは雪が少ない。

ほぼ夏山と同じ2時間30分ほどで山頂に到着。

人間の身長くらいある大きな山名看板が、大雪の年は雪の下になるけど、今年はほぼ全体が露出。

他のメンバー4人は、雪の飯縄山山頂は初めて。

高妻山を格好いいなあと見ほれておられました。初心は大切だな。。

29日は、ぼっち手製のビーフシチューで長々と宴会。

 

翌3月1日朝は曇。小屋じまいした後、戸隠の鏡池へ。

林道歩きなので、壺脚で行こうと判断したら、途中から結構なラッセルになった。

鏡池までたどり着く頃、天気も回復して、西岳(2,053m)が、荒々しい雪と岩の姿を現してくれた。

初めてのメンバーは、また感動。

お昼は、戸隠蕎麦の名店「そばの実」で、大ざる。

一口ずつ並べたぼっち盛り の蕎麦をぼっちが食べたら共食いか。。

 

皆さん、美味しい蕎麦と、戸隠の風光に満足され、早めに帰路についたのでありました。

 

| ぼっち | 山小屋たより | 05:53 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
能郷白山~磯倉(イソクラ) 新雪ラッセル行

ぼっち地元の山岳会が選定した「美濃百山」の、残る難峰のひとつが磯倉。(↓地図クリックで拡大)

能郷白山(1,617m)の南西に派生する尾根上の標高1,541mのピークで、三角点はない。

しかし、どっしりした能郷白山に対し、きりりと引き締まった円錐形の山容が対照的で、なかなかかっこう良く登高欲がわく。

「続ぎふ百山」に収録され、同書刊行当時は南側の白谷から登られていたが、今は谷の入口が徳山ダム湖に沈み使えない。

そこで、最近は主に、残雪期、能郷白山を経由して登られている。

ラッセル要の長丁場なので、テント泊で2日かけて登られることも多いこの山に、早立ち日帰り単独行で挑戦 (ロ。ロ)/オウ

自宅を3時半発、能郷白山の登山開始点となる能郷谷の林道ゲートを5時出発。

帰りは日没後となるのを想定して、MTBジャイアン号で進む。

3分の2くらいは引いていったけど、沢が路上を横断する洗い越し地点を濡れずに渡れたので効果的だった。

途中の広場に駐輪。その先は崩落個所があったりして、林道は廃道化している。

能郷白山登山口に6時20分到着。

冬場は、登山口のすぐ先にある能郷谷の橋が外され、渡渉がある。今回は水量が少なく難なく渡れてひと安心。

尾根までの取付きが急登、雪の降った直後なので、わかんを装着。

最初は見えていた古い踏み跡も、次第に雪に埋もれて、新雪ラッセルとなる。

いったん林道に出合ったあたりまでは、伐採後の二次林だったブナは、前山に近づくにつれ次第に立派になっていく。

尾根の西側に能郷白山と、それに続く磯倉が見えてくる。

すこぶる好天、雪も稜線を覆っていて、今冬最高のコンディションに恵まれたようで、わくわくしちゃうな。。

と、前山の手前で、元気な単独行の男性に追い越された。

ここまでラッセルしてきたし、能郷白山から磯倉まで単独ラッセルが待っているから、ありがたくラッセル泥棒(注)させてもらう。

前山を過ぎたあたりがブナがもっとも見事な地点で、どっしり白い能郷白山が迫ってくる。

(注)ラッセル泥棒:他人が苦労してラッセルした後を盗むように利用すること。

北東彼方に、白山連峰も眺められる。

先行者は、能郷白山山頂直下の急登を、がんばってラッセルしている。

大変だけど、誰の踏み跡もない処女雪を進むのは、快感でしょう。

ぼっちは途中から、奥宮側にそれていく。

11時に奥宮到着。

近年木造から金属製に替わった祠は、厳冬期2月にもかかわらず露出していた。

さあて、ここから磯倉までが、ふんばりどころ。

いったん標高約1,400mの鞍部まで大下りした先に、磯倉は立ち上がる。

背を越えるササは頭の部分だけを出すだけ。ただし時々膝あたりまでもぐるので、ピッチはあがらない。

最低鞍部から見上げた磯倉。

登高意欲をそそる、天をめざしてきりりと引き絞られた姿を、しばらく観察してからルート取りを決める。

雪質が固ければ滑落も心配だけど、案ずるより産むがやすし、アイゼンでなくわかんで登りつめることができた。

12時45分、磯倉山頂に到着。山名標識はなく、鉄パイプが一本突き立っていた。

背景の能郷白山は、前山ルートの白い壁のような姿とは違い、奥宮ピークと山頂ピークが重なって見える。

南側に張り出した、円錐に絞られたピークなので、特に伊吹山地から越美山地西部にかけての展望がすこぶる良い。

若丸山、冠山、金草岳、笹ヶ峰などが連続する岐阜・福井県境稜線は、1,200m前後の山々の連なりとは思えない迫力がある。

さあて、ゆっくりもしていられない。

遅い昼食を済ませて、まずは能郷白山に戻ろう。

能郷白山山頂には14時30分に到着、往路はここまで6時間かかったから、帰りもさくさく進まねば。

と、ブナの大木をまばらに従えた、おおらかな能郷白山の陰影の美しさに思わず見とれてしまう。

沈みゆく太陽と競争するように前山からの尾根を下る。尾根の向こうには、小津三山。

何とか3時間あまりで日没直前に登山口に到着。

その先は、MTBジャイアン号が大活躍してくれ、まだほの明るい18時に林道ゲートに到着。

昨年来の宿題をやり終えて、ほっとしたのでありました。

<登山記録>  (―:車、‥:MTB、…:徒歩)

2020年2月24日(月祝) 快晴 単独行

自宅3:30―能郷谷林道ゲート(駐車)5:00‥駐輪地点5:45…登山口6:20…(渡渉)…林道出合7:40…前山8:30…能郷白山奥宮11:00…磯倉山頂12:45…能郷白山奥宮14:20…能郷白山山頂14:30…前山15:50…(渡渉)…林道出合16:45…登山口17:15…駐輪地点17:40‥林道ゲート18:00ー(うすずみ温泉入湯後帰路)

パソコン周辺機器関連>←クリック!

 

<メモ>

・能郷白山は、能郷谷の林道ゲートから歩きだすと、積雪期も日帰りできる。

 そのため、林道ゲートまで除雪されると、多くの登山者が入る。

 新雪ラッセルするか、踏み跡をたどるかで、所要時間は大きく異なる。

・磯倉は、能郷白山山頂から往復3時間程度かかる。

 尾根が取り留めもなく広いので、霧が出そうな時には、雪面にさす目印の竹などを用意していくことが望ましい。

 

<余談>

・今回磯倉から奥宮まで14時半頃に戻ったところで、単独行の男性に「磯倉へはブッシュ出てますか?」と尋ねられた。

 こちららは往復に3時間30分くらいかかったので、「これから往復するんですか?」とびっくり。

 「18時半ころには降りられるはず」とおっしゃったけど、長靴の軽装で、とても心配になった。

・ところが、こちらが、登山口まであとわずかというところで、あっという間に追い越された。

 奥宮から磯倉往復+下山で3時間!

 「ラッセル泥棒」なんて遠慮はそもそも無関係、ラッセルありトレースありを前提に行動されているようだけど、なんだか複雑な気分。

 山の合言葉=「みんな違ってみんないい」なんですがね  (ロ。ロ; カチカンガチガイスギル

 

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| ぼっち | 美濃百山 | 20:56 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
伊吹山と円空

「円空仏」で知られる江戸前期の修験僧円空は、乗鞍岳、笠ヶ岳を開山するなど、ぼっちの敬愛する山の大先輩でもあります。

しかし、梅原猛著「歓喜する円空」など文献を読むほど、彼の生涯における本質的な疑問が解明されていないのを感じる。

今回、伊吹山に登って、その解明のカギは、伊吹修験にあるのではと強く感じたので、以下に論考します (ロ。ロ)/長文ゴメンナサイ

 

【疑問の前提となる円空の事跡】円空連合の年表参照)

円空は、寛永9年(1632年)長良川沿いで生まれ、洪水で母を失い、その水源である白山への信仰が終生篤かった。

最も早く円空の足跡が分かるのが、寛文3年(1663年 32歳)郡上市美並町の天照皇太神像など三体の神像の背銘(背中の銘文)。

当時、星宮神社の西神頭家が円空をバックアップしていたと考えられている。

 

何らかの事情で円空はこの地を去り、寛文6年(1666年)1月、津軽藩弘前城下を追われ、蝦夷松前の地に渡っている。(35歳)

同年 蝦夷で多くの仏像を作り、また寛文3年に噴火した直後の有珠岳を訪れ、虻田郡洞爺湖の観音島に伝わる聖観音像の背中に

うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日 始山登円空」の銘文を記す。

 

その後、大峰山など各地で修業を積みながら、多くの神仏像(円空仏)を作る。

 

そして、50歳代になってから飛騨を集中的に訪れ、多くの山に登る。

・天和3年(1683年)平湯から乗鞍岳に登頂し、魔王岳と摩利支天岳を開山したとされる。(52歳)

・貞享2年(1685年)高山市丹生川町千光寺に滞在。(54歳)

・貞享3年(1686年)木曽に仏像が残り、御嶽山に登ったと考えられる。(55歳)

・貞享年間ないし元禄初年 飛騨神岡の二十五山山頂に阿弥陀仏と二十五菩薩を奉安。

元禄2年(1689年)3月 伊吹山中の太平寺に十一面観音像の大作を残す。(58歳)

 同年8月 園城寺で血脈(法門継承の証)を受け、関の弥勒寺(実際には古い廃寺、当時は新たな寺は作れなかった)を園城寺の末寺に加えてもらう。

・元禄3年(1690年)から翌年にかけて奥飛騨の禅通寺に滞在、多くの円空仏を遺す。

・同年 双六谷の最奥の集落金木戸に十一面観音、今上天皇像、など三体の像を残す。(59歳)

 十一面観音像(実際には六面)の背銘「頂上六仏 元禄三年 冂 乗鞍嶽 保多迦嶽 □御嶽 / 伊応嶽 錫杖嶽 四五六嶽 /□利乃六嶽 本地處□六権現」(□御嶽は、於御嶽として、笠ヶ岳をさすとの説が有力)

 今上天皇像の背銘「元禄三年九月廿六日当国万仏十マ仏作己(おわる)」

 

元禄5年(1692年)弥勒寺を再興。(61歳)

元禄8年(1695年)弥勒寺に近い長良川の畔で入定。(64歳) 

 

【本質的な疑問】

➀円空は、どうして信仰の中心にあった白山周辺に円空仏を残していないのか? 

 →円空が没して百年ほど後の、寛政2年(1790年)伴高蹊の「近世畸人伝」に「富士山に籠り 又加賀白山にこもる」とある。

  しかし、美濃・飛騨に円空仏は1600体ほど残るが、白山周辺にはまったく残っていない。(↓画像クリックで拡大)

  若き円空を支援した西神頭家は、白山信仰の拠点・洲原神社を追われた過去を持っており、

  星宮神社は、虚空蔵菩薩を神体とする高賀信仰の神社であることにも留意が必要なのでは? 

②円空は、どうして津軽、そして蝦夷に渡ったのか?

 →梅原猛「歓喜する円空」では、寛文5年(1665年)10月の西神頭家の当主安高の死との関わりを推測している。

  しかし、美並に残る円空仏の銘文は寛文4年12月まで。

  寛文6年(1666年)1月に津軽を追われ、

  洞爺湖の聖観音像に江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日」とあることからすれば、寛文5年に伊吹山で一定期間(通常の修行だと90日間)平等岩で修業を積んでいたと考えていいのでは。

  ということは、円空が西神頭家のある美並を離れたのは、安高の死より早かった可能性が高い。

  津軽、蝦夷への旅立ちのきっかけは、別にあったのでは?

 

③円空は、どうして晩年近い50歳代になって飛騨に足しげく通うようになり、乗鞍岳、御嶽山、笠ヶ岳などに登ったのか?

 また、円空は、どうして槍ヶ岳には登らなかったのか? 

 →非体育会系文化人の梅原猛は、「歓喜する円空」で、円空の山岳修行に対してほとんど触れていない。

  しかし、山岳修行僧円空にとって、修行は、精神と共に肉体の修行であったはず。

  山岳修行の跡を追わずして、円空の本質に迫れるのだろうか?

 

【伊吹山に登って】

快晴の伊吹山山頂に立って強く感じたのは、円空への本質的な疑問に関わるキーワードが、ここには全てそろっているということ。

 

・白山 伊吹山は白山を遙拝することができ、白山を開山した泰澄ともゆかりがあった。

 →円空は何らかの事情で白山で修業ができず、西神頭家支援を受けての美並での修業にも限界を感じ、

  伊吹山に修行の場を移したのではないだろうか。 

  想定される事情1:当時の白山は三馬場の争いなど現世的利害関係でもめており、円空の理想とする場所でなかった

         2:当時の白山の信仰のありようが、円空の思うところとかけ離れていた

         3:当時の美濃・飛騨の越前・加賀国境周辺は、一向宗の勢力が圧倒的に優勢で、

           寺院もほとんど一向宗に改宗しており、一介の修験僧の居場所はなかった  

 

・蝦夷 伊吹山は、京都・近江と東北や北海道の物流のルートである北国脇街道に面していた。

 →伊吹山は、陸奥や蝦夷の情報が入りやすく、ここで恐山や、1663年(寛文3年)の蝦夷有珠山噴火の話を聞いたのではないか。

  ちなみに、白山は1659年(万治2年)噴火をしており、円空は火山に対して相当関心が高かったよう。

  (当時噴火のなかった富士山を噴火したように描いたものが4枚も伝わる、硫黄嶽(焼岳)にも登っている)

 

・「江州伊吹山平等岩僧内」 当時の伊吹山は、弥高寺などの主要寺院が衰退し、太平寺の坊などがわずかに残っていた程度。

 →徳川幕府が修験道法度などで統制を強めた時代に、主要寺院が衰退した伊吹山はかえって自由に修行ができる場だったのでは?

  美並から伊吹に移って初めて本格的な修験僧としての修行を行えたからこそ、背銘にそのように記したのではないか。

  また「始山登」と、有珠山に初登頂したことを記しているということは、登頂を修行の重要な関門ととらえていたはず。

 

・御嶽山、乗鞍岳、穂高岳、笠ヶ岳 白山とともに、これらの山も伊吹山山頂から拝むことができることを今回確認。

 →伊吹山から遙拝したこれらの山に登ることを、十万体の仏を作ることと同様、修行の最終関門としていたのではないか。

  その最後の難関である笠ヶ岳に登る前年、改めて伊吹山を訪れ、太平寺に十一面観音を残しているのもそのためでは。

  ちなみに、槍ヶ岳は今回目では確認できなかったけど、伊吹山山頂から見えはするらしい。

  ただしそれをとらえた画像で見ると穂高岳とひとまとまりで目立たたず、笠ヶ岳の方が独立して立派に見える。

 

・弥勒 伊吹山の信仰の中心は山上の弥勒堂で、弥勒信仰の山だった。

 →円空が再興した寺が弥勒寺であり、また、弥勒寺近くの長良川河畔で入定したのも弥勒信仰に基づくもの。

  弥高寺跡の行者谷には「入定窟」という岩室も残る。

  梅原猛は円空の入定を、出羽三山などで即身仏を見聞したからだと推測している。

  しかし、円空は伊吹山で修業をしていた段階で、すでに自分の修行の最終目標として入定を意識していたのではないだろうか。

【小 括】

槍ヶ岳を開山した播隆は、多くの記録を残しているので、笠ヶ岳や槍ヶ岳に登頂したことは明らか。

それに対し、円空の登頂は、文政6年(1823年)播隆の「迦多賀嶽再興記」など、後の記録によるしかない。

そのため、播隆の槍ヶ岳開山が広く知られているのと比べると、登山史上円空は重要人物ととらえられていない。

しかし、同じく伊吹修験に身を投じていた播隆は、偉大な先達として円空を意識し、笠ヶ岳を「再興」としている。

円空研究には、伊吹修験にもっときちんと光を当てるべきではないだろうか。

そして、日本登山史において、円空は播隆と同じか、それ以上に顕彰されていい存在ではないだろうか。

 

| ぼっち | ひとりごと | 06:58 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
伊吹山(1,377m) 雪の弥高尾根~中尾根

「ぼっちの『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」で、後回しにしてあったのが伊吹山。

 

滋賀・岐阜両県にまたがり、山頂は500mくらい滋賀県側で同県の最高峰。

都に近く、交通の要所にそびえ、ヤマトタケルが東征の帰路、伊吹山の神に返り討ちにあった伝説で知られるように、歴史も古い。

日本海からの季節風のため豪雪の山で、なおかつ石灰岩でできているため、標高1,377mながら高山植物の宝庫。

修験の拠点ともなった霊山で、ぼっちの敬愛する円空や、槍ヶ岳を開山した播隆も山中で修行をしている。

 

一方、伊吹山は、さまざまな開発にさらされ、痛めつけられ、傷つけられてきた。

1952年(昭和27年) 大阪セメントが伊吹鉱山の操業を開始 山容を損なうほど採掘

1957年(昭和32年)近江鉄道が伊吹山スキー場を開業 雪不足もあって2009年閉鎖

1965年(昭和40年) 伊吹山ドライブウェイが山頂まで供用を開始 植物の踏み荒らしが進行

さらに、日本百名山ブームによるオーバーユース、鹿の増加による高山植物の食害など

そのため、調査登山にも気乗りしないで今に至った次第。

 

ところが、地元山岳会のNuリーダーに、弥高尾根を行く積雪期限定のルートがあると教えてもらった。

貧雪の今冬ながら、2月11日新雪が積もって晴天という、格好の条件の日が到来。単独行でいそいそ出かけてきました(ロ。ロ)/

 

岐阜県関ケ原町玉集落からから滋賀県に入り、藤古川にかかる藤古大橋を渡る。

ここから見上げる伊吹山は、往年の姿をとどめ、ぼっちの好きなポイントであります。

橋を渡ったところにある集落が、上平寺。

今は静かな山里のたたずまいだけど、かつては、戦国時代の武将京極高清の拠点となっていた場所。
最近の日本百名山ブームで、こんなマイナーなルートにも立派な駐車場ができていた。

集落の一番奥にある伊吹神社の参道に入る。いい感じで新雪が積もっている。

参道沿いには京極氏の武家屋敷跡が、神社の手前に京極氏館跡と庭園跡があり、かつてをしのばせる。

神社の鳥居の西側が登山口、「伊吹山五合目」の標識と、登山ポストがある。

スギ林の斜面をジグザグに進むと、明確な尾根となり、コナラなどの二次林となる。

標高669mの地点に、次のような歴史を持つ、京極氏の上平寺城の遺跡がある。

①永正2年(1505年)、京極高清がこの頃に築城。

 眼下の北国脇往還を押さえ、北近江、関ヶ原盆地、濃尾平野を一望できる絶好の拠点であり、国境警備の「境目の城」であった。
②大永3年(1523年)、この城を預かり高清を補佐していた上坂氏の専横に家臣の浅見氏、浅井氏らがクーデターを起こし、落城。
③元亀元年(1570年)頃、浅井長政が織田信長の侵攻に備えて、朝倉義景軍の援助で上平寺城を改修。

 しかし同年、城を守備していた樋口直房、堀秀村が寝返り、落城。

今は、登山道沿いに小平地や土塁らしきものが雪に包まれただけの、兵どもが夢のあと。

ちなみに、京極氏は戦国時代を生き抜き、丸亀藩ほかいくつかの大名となって、明治維新を経て華族となっている。

本丸跡からは、東に関ヶ原から濃尾平野、西に琵琶湖を望み、直下に山にはさまれた北国脇街道が見下ろせる。

確かに、重要な戦略拠点だったことがよく分かる。

城跡を後に、さらに落葉広葉樹林の尾根道を登高、839mピークまで出ると、伊吹山が真正面に姿を現す。

様々に痛めつけられたこの山の傷跡があまり目に入らず、ベストの角度ではないだろうか。

目指すのは中央の尾根。

ピーク直下が急峻で、かつて修験者などに使われていたけれど、今は積雪期にわずかに登られているだけ。

山仙人をめざすぼっち向けの道といえましょう。

今日初めての登山者追いつかれ、一気に追い越された。

その、踏み跡に(ついていきたいわけじゃないけど)ついていくと、どんどん尾根を離れていく。

「伊吹山五合目」って、スキー場からのメインルートの五号目ということかな? 

 

やっぱり、メインルートの五合目でありました。

スキー場の跡地から登ってくる登山者の多いこと。心の準備ができていなかっただけに、げっそり感半端なし。

まあ、このルートも調査が必要だったし、八合目で円空が修行したという平等岩(行導岩)が確認できたのでよしとしよう。

九合目を越えると、樹氷やエビの尻尾も見られ、背後には琵琶湖が。

山頂に到着。小学生の夏休みの作品のようなヤマトタケルの石像の背後に、伊吹山地、越美山地の山々がひしめく。

傍には石の祠があり、かつてここに弥勒堂があり、信仰の中心になっていたという。

画像では鮮明じゃないけど、地平線には、御嶽山、乗鞍岳、穂高岳、笠ヶ岳が。

足下にひしめき合う伊吹山地、越美山地の山々の向こうには、能郷白山、そして真っ白な白山が。

円空もこの大景を見渡していたんだな。。

風もなくおだやかな山頂で、大勢の登山者と(並びたいわけじゃないけど)並んで弁当を食いながら、弥高尾根を見下ろす。

下りはじめが、かなり急でちょっとひるんじゃうけど、もし、この尾根で下らなかったら、今日一日は何だったのだろう。

アイゼンを装着、ピッケルを右手に、一気に尾根を下る。

人の踏み跡のないルートって、なんて気持ちがいいんだろう。

しばらくすると、雪が切れて、ガラガラした石灰岩が現れる。

標高が1,377mに過ぎないのに、高山の様相なのは、石灰岩の山だからなんだな。。

残雪期だけに登られるルートのため、尾根上部は、ほとんど踏み跡も目印もない。

下の方のブッシュに入るあたりになると、残置テープが見られ、さらに下ると膝ほどのササの中に踏み跡もひろえるようになる。

往路の表(上野)登山道へのルートと、尾根ルートとの分岐。

テープがいくつか杉の木に巻いてあるけど、標識がないので分岐とは、なかなか気が付かない。

 

帰路は、839mピークから右手の分岐に入り、山岳寺院弥高寺跡に立ち寄る。

弥高寺は、役行者や白山開山の泰澄が入山したと伝えられ、仁寿年間(851~854年)に三修が建立した伊吹山寺を前身とする伊吹修験道の中心的寺院だったという。

時代が下り、京極高清が上平寺城を築城した頃は、軍事拠点化し、永正9年(1512年)には兵火で焼失し、その後山麓に移転している

上平寺城と同様、こんな山上に小平地があり、アジール(自由領域としての宗教空間)として機能していたのがしのばれる。

斜面の巻き道で往路に合流、さまざまに中身の濃い山行でありました。

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年2月11日 (火祝) 快晴 単独行

自宅6:00―上平寺集落(駐車)7:10…上平寺城址8:30…839mピーク9:15…五合目10:35…伊吹山山頂12:30~12:45…(弥高尾根)…839mピーク14:00…弥高寺跡14:45…上平寺城址15:30…上平寺16:00ー(帰路)

 

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<メモ>

後で調べたら、尾根の名前やルートについてあいまいにとらえていたことが分かったので、整理してご紹介。

(↓地図クリックで拡大)

・弥高尾根(やたかおね)道

 米原市弥高から南の尾根を登るルートで、三角点「城跡」(標高838.7 m)から先は、はっきりしない道となる。

 標高900m付近からトラバースして上野登山道の5合目に合流する。

・上平寺尾根(じょうへいじおね)道
 米原市上平寺から弥高尾根の東にある尾根を上り、三角点「城跡」で弥高尾根に合流する。
 両尾根が合流した先は、山頂まで延びる中尾根と呼ばれる尾根があり、かつては山頂に至る道があったとされている
Nuリーダーに教えてもらったのは、この「中尾根のかつては山頂に至る道があったとされる」ルートでありました。
| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 22:34 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
冬の奥飛騨展望台―福地山(1,672m)

福地山は、福地温泉の背後にそびえる標高1,672mの独立峰。
奥飛騨温泉郷のど真ん中にあって、以下のようにいろいろ好条件。

➀温泉地から直接登りだせ、アクセスが良好 ②登山道が整備され、往復4時間程度

③蒲田(がまた)川と高原川の合流点にそびえ、対岸の飛騨山脈が好展望 ④下山したら、名湯に即入浴可

ということで、最近人気急上昇の山であります。

ただし、2004年に登山道が整備されたばかりなので、2万5千分の1地形図には、三角点の記号だけで、山名の記載なし。

冬季にも登りやすいこの山に、ぼっち地元の山の会の積雪登山訓練で行ってきました  (ロ。ロ)/

 

温泉の共同浴場「石動(いずるぎ)の湯」の近くにある大きな無料駐車場から登山開始。

Nuリーダーのもと、13人と、雪山にしてはかなり大人数で、にぎやかに出発。

温泉に接する里山のため、登山口あたりは、スギやカラマツの植林、その上は伐採後のブナやミズナラの二次林。

最初は壺脚で、小型ブルドーザーで付けられたというジグザグの登山道を登っていく。

登山道は、尾根道とブルドーザ―道にいったん分かれ、尾根道側には笠ヶ岳や、穂高連峰方向が見える第一展望台がある。

ただし、稜線が雪雲に包まれ、今回は拝むことができなかった。

二つの道が再度合流する小平地が、無然平(むぜんたいら)。

無名のこの山を愛した大正時代の社会教育家、篠原無然が、小屋をしつらえ瞑想にふけった場所。

ここで、わかんを装着。わかん初体験のメンバーが手間取ったりしたけど、それも訓練のうち。

そんなメンバーに、根気よく教えるのも、訓練のうち。

ふたたび、登山道は、尾根道とブルドーザー道に分かれる。

尾根道は、やせていて木の根や氷にわかんが滑るけど、クロベ(ネズコ)の大木が連続して見事。

この山には、焼岳展望小屋、第一、第二、第三、第四展望台、乗鞍展望台と好展望のスポットがいくつもある。

それぞれ見える方向山が違って飽きない。

今回は、笠ヶ岳、槍ケ岳、穂高岳、焼岳など主役級の高峰が雪雲に包まれ少々残念。

しかし、第三展望台からは、活火山アカンダナ(2,109m)、白谷山(2,188m)という、登山道のない飛騨の難峰が見えた。

3月に登山予定なので、しっかり観察しておく。

山頂が近付くと雪も深くなり、立派なミズナラやダケカンバが登場。

登山開始から約2時間30分で福地山山頂に到着。

セルフタイマーで記念撮影、背後は本来なら笠ヶ岳がドンと見えているはず。

のんびり展望を楽しみながら昼食をとっていると、登山者や、スノーシューのガイドツアーが登って来た。

そろそろ下山しますか。

南側の乗鞍岳にかかる雲がほどけてきた。

登山道の傍らに、大きな石灰岩が露出している。

福地山は日本最古の化石が発掘された山として、国の天然記念物に指定されている。

14時過ぎに無事下山。即共同浴場「石堂の湯」に入れるのがありがたい。

民家風の建物のこじんまりした温泉だけど、石鹸・シャンプーありで300円とお安く、

おまけに化石館が併設されていて、日本最古4億8千万年前の福地山出土の化石まで見られるのは破格。

湯の華舞うぬるめのお湯にゆったりつかり、雪上訓練の疲れを速攻で癒したのでありました。

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年2月9日(日) 晴 メンバー:Nu,Oo,Ogr,OGa,Sa,Si,T,Na,Fu,Ho,Mu,Ya,botti

大垣4:30―福地温泉(駐車)8:10…無然平9:30~9:45…第3展望台11:00…福地山山頂11:40~12:30…無然平13:15…福地温泉(不動の湯入湯)14:10~15:20―大垣18:40

<余談>

無然平にある大変立派な標識は「憮然平」と刻まれている。

篠原無然の小屋のあった場所なので、無然(むぜん)平が正しく、憮然(ぶぜん)平は、明らかに間違い。

無然先生も、あの世で憮然(↓)とされているのではないだろうか。

 

「広辞苑」第6版(平成20年 岩波書店)

ぶぜん【憮然】 [1]失望してぼんやりするさま。失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま。「―として立ちつくす」 [2]あやしみ驚くさま。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 21:24 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
手づくりの山―相戸岳(672m)

山県三名山、釜ヶ谷山を後に相戸岳(672m)へ。

登山口となる相戸集落の背後にそびえる相戸岳。

低山里山ながら、どこか風格を感じさせる山容であります。

相戸集落の中心にある白山神社と教龍寺という浄土真宗の寺の前の駐車場に愛車奥地君を止めさせてもらう。

相戸岳登山ルート図と、相戸岳の紹介という看板がある。

かつては神王峯(かむおうぼう)とも呼ばれ、神の住む山としてあがめられたとのこと。また通称は岳山というそう。

今回は谷沿いの林道から尾根にあがる西ルートで登り、尾根で直接集落に下る東ルートで下山する周回を選択。

林道終点近くのもっさりしたヤブの中に、西ルートの登山口が開かれている。

登山道に入ってしまえば、踏み跡はしっかりし、標識もある。

最初は、スギの植林帯をささやかな沢沿いに進む。

植林帯を抜け、尾根道に入ると、落ち葉したコナラ、常緑のアラカシ、アカマツなどがみられ、里山らしい植生。

尾根の合流点に出ると、相戸岳を間近に拝むことができる。

ところどころに岩肌をみせる山頂部は、南東から北西方向にピークを連ね、なかなか風格がある。

相戸岳ピークは、その南東端。

次第に急登となり、大岩をひとつ巻いていく。

山頂直下の急斜面には、登山道の伐採木を利用した手づくりの階段が続く。

伐採木を使った木の階段は、飛騨でもよく見かけるけど、違うのは、飛騨では固定する杭まで削り出して作られていることが多いけど、ここでは頭が赤いプラスチックの市販品を使っているところ。

住宅の外壁なども、徹底的に木材にこだわる飛騨と、わりと無頓着な美濃の気風の違いは、こんなところにも出るみたい。

ま、目印にはなります。

二等三角点の山頂は、よく整備されていて、日の丸が掲揚されていた。

最後急登だった分、足元に障害物がなく、見晴らしはすっきりいい。

山頂から南には、越美山地最南の濃尾平野に接する里山から平野と伊勢湾方面が大きく開ける。

東には、恵那山と、赤石山脈の一部が。

ただし、それより北は、高賀三山に遮られ、御嶽山等は拝むことができない。

帰路は、東ルートをとる。

山頂から少し下ったところに大きな倒木があり、空間が広がって、高賀三山(高賀山・瓢ヶ岳・今淵岳)の全容をつかむには格好。

コナラ、アラカシ、アカマツなどの二次林を大下り。

頭の赤い杭、続いてます。

約45分であっけなく、民家の裏手の東登山口に到着。

駐車場まで戻り、相戸岳の紹介の看板を熟読。 (↓クリックで拡大)

相戸岳は、陸軍参謀本部陸地測量部によって測量され、地図に三角点の表示が記されたものの、山名は記されないままだった。

それを、平成17年地元の乾地区の有志が国土地理院に申請して、地図に山名を入れてもらったとのこと。

この山への地元のおもいがひとかたならないのに、改めて感じ入ったのでありました。

富士フイルム

<登山記録>  (―:車、…:徒歩) (↓地図クリックで拡大)

2020年2月2日(日) 快晴 単独行

(釜ヶ谷山登山口で昼食)12:15―相戸集落白山神社前(駐車)12:35…西コース登山口12:50…大岩13:40…相戸岳山頂13:50~14:15…東コース登山口15:00…白山神社前15:10―(帰路)

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<余談>

浄土真宗(一向宗)では、南無阿弥陀仏と念仏をひたすら唱えれば成仏するとされ、それまでの神仏習合的な信仰とは一線を画す。

戦国時代、蓮如の時代に北陸で一気に広がり、美濃・飛騨にも山を越えてその信仰が広まった。

浄土真宗の勢力下になった地域では、山岳信仰や、天狗など山にまつわる伝説が途絶えていることも多い。

相戸岳も、山岳修験の拠点だった高賀山に近く、かつて神王峯と呼ばれていたという岩山なので、修験の山だったのだろうけれど、登山中その名残りは見られなかった。

 

一方、岐阜県では、相戸のように、浄土真宗の寺と白山神社が共存する集落が数多い。

これは、白山三峰のひとつ大汝峰の大汝権現(大己貴命)の本地仏が阿弥陀如来であったことと関係しているらしい。

江戸時代に、石徹白の御師たちが全国に布教に回る中で、浄土真宗勢力地域へのセールストークとして、白山は阿弥陀の山で、水の神・農耕神であると、売り込んだものらしい。

そんなこともあって、全国に2千以上白山神社がある中でも、岐阜県は4百以上と全国一多い。

 

| ぼっち | 美濃百山 | 06:31 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
いわくありげな山―釜ヶ谷山(696m)

記録的貧雪のこの冬は、皮肉にも美濃の低山巡りにはとても好条件。

2月2日は、舟伏山とともに「山県三名山」として山県市が売り出し中の釜ヶ谷山(696m)と、相戸岳(672m)へ行ってきました (ロ。ロ)/

 

まずは、釜ヶ谷山。

わかさぎ釣りで有名な伊自良湖の畔に駐車、甘南美寺の前から林道に入り、奥の院コースで登り、龍神コースで下る周回で計画。

(↓地図クリックで拡大)

体育館用品

林道入口からは、釜ケ谷山のどっしりした姿が見える。

林道の脇に、「伊自良青少年の家」というま新しい立派な施設が、なぜか閉鎖状態である。

その先にあるキャンプ場は、どうやら公営だったものを民間に移管したようで、今も営業している。

「ヒル注意」の看板があったので、心配のない今頃が案外登山適期かもしれない。

林道には、奥の院に向け三十三観音の石仏が一番、二番…と並び、釜ケ谷山登山道の標識も出ている。

林道のカーブ手前に、奥の院直進の標識があり、登山道兼参道の山道となる。

あれ、そういえば、龍神コースの分岐ってあったっけな  (?_?)>

岩のゴロゴロした沢沿いを登り、斜面をしばしへつると、展望台に出る。

今は木が茂り、見晴らしは今一歩。むしろ、少し上の鉄塔のあたりからの方が、濃尾平野方向の視界が良好。

植林帯の中の尾根を登る。三十番を過ぎたから、もうすぐ奥の院かな。

木立の中の小ピークに、キツツキに穴をあけられた、奥の院のお堂がある。

そのすぐ上に、甘南美明神という祠が。

甘南美とは、神体山を神奈備山というように、神奈備、つまり神の鎮座する領域という意味なんじゃないだろうか。。

植林帯の中の明確な尾根を進むと、行者岩という見晴らしのきく岩がある。

植林帯を抜けると、落葉したコナラや、常緑のアラカシの混じる二次林林となり、龍神コースとの合流点に出る。

最後、木の階段を詰めて釜ケ谷山の山頂に出る。

二等三角点と、雨宿りのできる小屋があり、小屋の中をのぞくと、学校登山の寄せ書きなんかがいくつもあった。

山頂南側の茂みが切り開かれ、濃尾平野から恵那山、赤石山脈、木曽山脈まで眺められる。

ただし、御嶽山から北、白山や越美山地方向は、700mに満たない低山ゆえ、周辺の山に遮られ見えなかった。

それでも、手軽に登れる山として展望は抜群で、学校登山の子供たちも、満足したことでしょう。

下山は、分岐から龍神コースへ。

しばらくは、見晴らしのいい尾根道で、そのあと、谷へと降りていく。

石段や手すりなど、いかにも金と手間をかけて作ったんだろうなという登山道。

谷沿いには、小滝なども登場し、龍神コースというルート名にも納得。

ただし、一昨年当地域を襲った台風の倒木が残ったままで、最近は手を入れられていない様子。

下りきって林道に出たところに、「雨乞いの森」という、前岐阜県知事揮毫の石碑がある。

林道を下っていくと、往路の「ヒル注意」の看板のある場所に合流。

改めて確認したけど、林道入口にはチェーンで通行止めにされ、龍神コースを示す標識は一切ない。

通ってほしくないということなのかな? なんか不自然でいわくありげ。

約3時間30分で周回登山を終え、甘南美寺に立ち寄る。

なかなか、いわくありげな寺で、境内にはエドヒガン、モミ、ハナノキの巨木があった。

帰ったら、この寺と神奈備の関わりを調べてみよう。

<調査結果1>

甘南美寺(かんなみじ)は、戦国時代(1570年代)に創建されたと伝わる臨済宗妙心寺派の寺。

伝承によれば、鎌倉時代、高阿弥、那智阿弥という行者の夫婦が伊勢国で救世観音を授かり、故郷の美濃国山県郡釜ケ谷の山頂に祀ったのが起源だという。

その後しばらくして、伊勢国の漁師が、美濃国からまばゆい光が海を照らし魚が釣れなくなったため、その光の源を求めに美濃の国を訪れたところ、その光は釜ケ谷の観音像の光だったため、漁師の話を聞いた行者夫婦は、観音像を山麓の長滝の集落に下ろしたという。

さらに、釜ケ谷山の中腹ある奥の院は、美努王(みぬのおおきみ:橘諸兄の父で708年に死去)を祀るというから、時間がどんどん遡ってややこしい。

釜ケ谷山は、伊自良川の水源にあたるから、古くから神の住まう神奈備山としての信仰があり、その後修験道の山岳信仰の山となり、その後信仰の中心が山上から里に移ったということなんでしょう。

 

<調査結果2>

ハコモノ作りに走った建設省出身の前岐阜県知事時代には、「岐阜県庁裏金問題」があり、県政に大きな禍根を残した。

そして他の行政機関が裏金つくりを止めた後も、最後までやっていたのが「伊自良青少年の家」なんだとか。

そんなこともあって、おとりつぶしになったんでしょう。

それにつられて、前知事時代にたくさんの税金をかけて整備した雨乞いの森の龍神コースも、「ないもの」にされたのかな (?_?)>

簡単な整備で十分快適な登山道になるのに、二重にもったいない話であります。

 

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年2月2日(日) 快晴 単独行

自宅7:00―伊自良湖畔(駐車)7:50…展望台8:40…奥の院9:00…龍神コースとの分岐9:25…釜ヶ谷山山頂9:35~9:45…分岐…雨乞いの森標識(林道)11:00…伊自良湖畔…甘南美寺11:35…伊自良湖畔(昼食後相戸岳へ)

 

 

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| ぼっち | 美濃百山 | 22:00 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
飛騨の隠居さまに会いに行く

2月1日、小雪舞う高山市へ。

今回の目的は、登山でも観光でもなく、「飛騨の隠居さま」にお会いすること。

ご自身で「隠居」とおっしゃっているけど、飛騨山岳界の重鎮であられ、アルピニストとしてのご経験も、登山史などに関するご見識も卓越された大先輩。

ここでは最大限の敬意をこめて「飛騨の隠居さま」と呼ばせていただきます。

 

「ぼっちの『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」の取り組みは、「勝手」と言いつつも、独りよがりのものでは、岐阜県山岳に対して申し訳が立たない。

特に飛騨山脈については、美濃の片隅に住む、ぼっちの上っ面の知識・経験だけでは、いかにも心もとない。

ひととおり候補の山に登り、絞り込み作業が進んで原案ができたので、飛騨の隠居さまにご意見を拝聴しに高山を訪問した次第。

時間調整のため、飛騨の歴史をひととおり知っておこうと、いつも山の往復に素通りしている市内を探訪。

まずは、かつて高山城の置かれていた、城山公園へ。

城山には、室町時代、高山外記が天神山城を築城、高山という地名は、彼の名を取ったとの説がある。

二ノ丸跡にある騎馬像は、初代高山藩主金森長親公。戦国末から江戸時代前期におかれた高山藩の基盤を気付いた名君であります。

雪の天守跡から見下ろす高山市街、山また山に囲まれた土地であることがよく分かる。

向かいの山が、高山市民に親しまれる松倉山。

城山中腹にある照蓮寺の本堂は、御母衣ダムに沈むため白川郷から移築された室町後期の建築で、現存する浄土真宗(一向宗)の本堂では最古のもの。

照蓮寺は、飛騨に広がった一向宗勢力の中心的な寺で、ここでは省略するけど、飛騨の歴史を語るうえで欠かせない寺院。

「飛騨の里」も、初訪問。

木挽小屋(手前)や、杣小屋(奥)など、かつての飛騨の山の暮らしをしのばせる建物がある。

木挽を生業としていた民家の中には、飛騨の林政史や、木挽の道具の展示が。

木材の運搬には、木曽川、長良川などが利用され、飛騨国と美濃国が物資輸送の面で密接につながっていたことが分かる。

飛騨の里の背後にある松倉山(856.7m)にも登る。標高857mながら、飛騨盆地からの高度差は350mあまり。

山頂には、戦国時代三木(姉小路)頼綱の松倉城があった。

彼は越中富山城主佐々成政と手を組んでいたが、羽柴秀吉より討伐の命を受けた越前大野城主、のちの初代高山藩主金森長近に落とされた。

天守閣跡は、飛騨山脈の大展望台になっている。

今回は雪雲に覆われ、残念。。

飛騨の里に隣接する、高山民俗村の旧高山測候所にも立ち寄り。

現在は、山岳資料館となっていて、飛騨登山史が概観できる。

本当は、是非こここそ見たかったのだけれど、冬季閉館中で、外から眺める。

おお、そろそろお約束の時間(緊張。。)

飛騨のご隠居さまにお会いし、いろいろお話を伺った2時間あまりは、とても濃密な時間。

飛騨の山について、だいたいいいところを選んでいると言っていただけ、まずはほっとした。

そうはいっても、もっと調査したり、差し替えたりする必要がありそうなご指摘をいくつかいただいた。

今年夏までに、調査登山を進め、より納得の百の山を選ぼうと、さらなる精進を誓った次第。

飛騨のご隠居さま、いろいろありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

| ぼっち | ひとりごと | 06:11 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
お山の勉強室:テーピングについて

山修行には、いざという時のレスキューや応急措置を身に着けておくことも必要。

応急措置のうち、テーピングが重要なことは、さまざまなスポーツで、ご存じでありましょう。

1月25日(土)、その「テーピング実技と体の構造」についての講習会に参加。

 

第1部は、テーピング実技講習。

テーピングには、予防・応急措置・再発防止と、目的がいくつもある。

今回は、もっとも発生しやすい足首の捻挫(ねんざ)の応急措置のテーピングについてお勉強。

 

まずは模範演技。オリンピック選手にもテーピングしておられるS講師のてぎわのいいこと。

次に、2名1組で、実技訓練。

テープには、皮膚の保護・固定・サポートといった目的に合わせ、粘着・非粘着、伸縮・非伸縮などいろいろある。

今回は、アンダーラップ、非伸縮テープ(CB)、ソフト伸縮テープ(EBH)という三種類のテープを使用。

(テープの種類については、下表参照)

 

①まずは、非粘着性のアンダーラップを巻いていく。 

 この手間をかけると、固定用のテープが貼りやすく、後で粘着テープを剥がしやすく、かぶれを防ぐ。

 6割くらいの力で引きながら巻きしわができないように巻くのがコツ。

 内くるぶしから指5本分くらい上からとのことだったので、ぼっちは巻き過ぎであります (ロ。ロ;

②次に、CBと呼ばれる非伸縮性のテープで、固定をしていく。

 ⅰ)アンカーと呼ばれる起点・終点となるテープを内くるぶし指5本分上の所に2本巻く。

 ⅱ)アンカーの脚の内側部分から脚の底を通し、外側部分にきつめにテープを3本少しずらしながら張る。

  これをスターアップ・テープといって、動きを制限する重要なテープ。

  ねん挫の場合は、内側に曲がってしまうので、これを外側向けの力をかけて固定する。

 ⅲ)その上に、ⅰと同様の場所にアンカー・ーテープを貼る。


 ⅳ)さらにくるぶしの曲がりを固定するため、フィギュアエイトという、8の字を描くように巻く。

 ⅴ)足関節が左右にぶれるのを抑えるため、ホースシュー(馬蹄形)テープをかかとにずらして3本貼る。

 ⅵ)スターアップ・テープがずれないように、ホースシューの上から1/2以上重ね合わせながら、アンカーまでテープを巻く。

   これをサーキュラーという。ぐるぐる巻きにするのではなく、一周巻いては切ってを繰り返す。

 ③最後に伸縮性のテープ(EBH)で、ラッピングする。

  外側のかかとに掛け、内側のかかとに掛け、フィギュア・エイトに掛け完了。

 

 実習中は頭がこんがらがっていたけど、こうやってブログでおさらいすると、だいぶん頭に入った気がする。

第2部は、国際山岳医M先生による、捻挫に関する骨格や筋肉の構造を踏まえた講義。

骨格の構造から、足首の捻挫は、ほとんどが内側向けに起き、外側のじん帯が損傷するのだそう。

今日習ったテーピングは、このような特性を踏まえて固定を行うもの。

 

捻挫を起した時は、RICERest(安静)・Ice(冷却)・Compression(圧迫)・Elevation(挙上=引き上げ)が基本となる。

これは血流を低下させ出血を抑制するもの。

しかし、反面、血液の低酸素化をもたらし、内圧の上昇でむくみ、循環障害を起こす可能性もあることに注意する必要があるとのこと。

靴擦れ、床ずれなども、圧迫+摩擦で発生するのだそう。

自分やメンバーが安心して登山できるように、まだまだ身につけておくべき応急措置はいっぱいある。

山修行のひとつとして、これからも機会を見付けて、ぜひ実習しておきたいです (ロ。ロ)/オウ

 

皮膚の保護 アンダーラップ テーピングの前に肌に巻いて、かぶれなどから皮膚を保護する。手で切ることができる。粘着スプレーを皮膚に吹き付けてから使用すると良い。
固定 非伸縮
(CB・CBC)
一般的にホワイトテープと呼ばれ、スポーツテーピングの中で最も主体となるテーピング。主に関節の固定や可動域の制限に使う基本のテープ。手で切ることができる。
ハード伸縮
(EB)
主に膝・肘・肩など筋肉の収縮、弛緩の大きな部位に使う伸縮性を持つテープ。ハサミで切って使う。
ソフト伸縮
(EBH)
薄くてやわらかいテープ。圧迫や固定のほか、テーピングの仕上げに上から巻いて使うこともできる。手で切ることができる。
サポート キネシオロジー 疲労した筋肉のサポートに使う。筋肉に沿って貼る。筋肉に沿って貼ることにより、筋肉の正常な動きをサポートする。ハサミで切って使う。
バンテージ 多目的に使用できる薄手の伸縮性の包帯です。応急処置で氷のうの固定や障害部分の圧迫などにも使う。ホワイトテープとの併用で固定感を幅広く選択できると共にフィット感が高まります。

 

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 06:24 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
2020年干支の山―子ノ泊山(ねのとまりやま:907m)

1月18日は、ぼっちの山の会の恒例、新年干支の山登山。今年は7名の仲間で子ノ泊山へ。

 

子ノ泊山は、三重県熊野市紀和町と南牟婁郡紀宝町の境界にあり、2万5千分の1地形図に名前のある山では三重県最南端の山。

山全体は、蔵光山(ぞうこうさん)、その最高峰が子ノ泊山と呼ばれ、地形図にはその両方が記載されている。

1960年に今西錦司が「十二支会」を創立し、その最初に登られたのがこの山なので、干支の山マニアにはよく知られた山だそうであります。

 

登山口には、海岸沿いの国道42号線から県道35号線に入り、さらに紀和町桐原から、林道桐原浅里線に入り、6㎞進む。

林道沿いには、石垣でつくられた千枚田があり、斜面に民家が点在する。

古い時代から住み継がれてきた場所なんでしょう。

今回は、桐原登山口から登り、桐原尾根登山口で下る周回コースを計画。

桐原登山口の、7,8台止められる駐車場は一杯。

登山届を出す場所に、スタンプがあって、これに山頂でスタンプを重ね押しすると、何かの絵が出てくるという。

 

鉄ハシゴを登り、涸れ沢沿いに登山開始。取付きからけっこうな急登。

斜面は、単調なヒノキの植林で、下にはサカキなどが生えている。

明確な尾根道に出ると、シャクナゲや、カシ、アカマツ、モミなどの樹林となる。

樹林におおわれ、山頂方面は、登り始めてしばらくのあたりでちらっと顔をのぞかせたくらいで、ほとんど見えない。

尾根道の先が明るくなり、子ノ泊山山頂に到着。ネズミ君もバンザイしております。

三重県に11しかない貴重な一等三角点の山頂で、青いスタンプを重ね押しすると、ねずみ君が現れた。

やりすぎって感じがしないでもないけど、岐阜県の山も、もう少し登山者に親しまれる工夫をしていいのでは。

スタンプどころか、まず登山口・山頂に、きちんと標識を立てるところから始めなくてはいけないんだろうけれど。。

南には、青く明るい熊野灘が広がる。

海なし岐阜県民は、海を見るとテンション上がります。

反対の紀伊半島方向には、昨夜降った雪を稜線に置いた峰々が重畳。

明確には同定できないけれど、大台ヶ原、奥駈道の玉置山、果無山脈などが並んでいるんだと思う(修行不足。。)

下山は、桐原尾根登山口をめざす。

しばらく、林道のような広い道があり「2」という立札で尾根道に入る。

尾根道の脇に、七十五人塚という石の塚がある。

これは、平家の落ち武者赤井蔵光が、家来とともにこの山に逃げ込み、しばらくは岩屋に、そして要害の地に居を構えたが、

結局打たれ、その家来七十五人を葬ったのがこの塚だという。

さらに進むと、紀宝町浅里への分岐がある。

これは、新宮山彦くるーぷが、昭和58年(1983年)、翌年の子年に、今西錦司ら十二支会を迎えるために開いた山彦新道という沢沿いのルートとのこと。

ただし、現在は遭難防止のためザイルを外し廃道としたと、平成25年の立て札がある。

ちなみに「新宮山彦ぐるーぷ」は、大峰奥駈道の南半分を再興し、今も保全されているすごい山の会であります。

個人的には、広々とした尾根の、このあたりのたたずまいが、一番心に残った。

1時間足らずで、桐原尾根登山口に到着。

ここから、桐原登山口まで、今年1年の山の計画なんかを話しながら、下り勾配の林道を戻る。

心おだやかな初春の干支の山登山でありました。

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年1月18日(土) 曇のち晴 メンバー:Tubo,Su,Sd,Hd,Ishi,Hi,botti

御在所S.A(集合)7:00―熊野大泊I.C.-(国道42号線、県道35号線、林道桐原朝里線)ー桐原登山口(駐車)10:45…子ノ泊山山頂11:50~12:40…桐原尾根登山口13:35…桐原登山口14:05―(帰路)

ストレッチマシン

<メモ>

子ノ泊山という山名の由来は、「諸説あるが、熊野灘から新宮の港に停泊のため入港する際に、子(ね)すなわち北の方角にあるこの山を目印にしたという説が有力」と、ぼっちのバイブル「新日本山岳誌」にある。

 




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| ぼっち | 日本4000山 | 10:17 | comments(0) | - | ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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